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半日で真夏の伊豆半島一周

時期と時間を考えると無謀だった伊豆半島一周

2002.8.某日 走行

午前中は傷付いたバイクの修理

  前回キャンプツーリング時に転倒し、傷付けてしまったバイクをやっと直す事にした。日中はとにかく暑い日が続くので、明け方から早起きして直す予定だった。朝5時半頃に起き、一通り道具を揃えて屋外に出ると予想に反して空は厚い雲に覆われていた。「ま、雨さえ降らなければ涼しくって良いや!」と思いつつ修理開始。深い傷はパテ埋めの必要も有り結構手間が掛かる作業だった。修理中に通り雨も降り 、一瞬焦ったりもしたが結局天気予報が当たり、時間の経過とともに空は晴れてきた。ようやく塗装も終えたが出来栄えを見るとどうも納得が行かない。結局やり直しも行っているうちに時間はどんどん過ぎていった。

 さすがにこのところの猛暑続き、雷雨や夕立も連日発生しているが日中はとんでもなく暑い日々が続いていた。この日も例外に無く超暑い。さすがに昼近くとなるとやる気も失せ、「ま、今回はこんなもんで良いか?・・・」(^^;) と言う気分になった。修理はお昼頃までと決めていたし午後からはとしさんとまた近場へツーリングする予定だった。としさんからは「今日、どうする?まだ時間か掛かりそう?」と携帯メールで早く来いとの催促が有り。修理を切り上げ一応空は良く晴れてはいるが雨具をしっかり装備しとしさん宅へ向かった。

無謀なツーリングはこうして始まった!

  としさん宅に到着するととしさんの奥さんと子供が待っていた。どうもとしさんは私が遅いので子供と遊んでいたらしい。私が来たので奥さんはとしさんを呼んでくれてやっと合流した。暫くはバイクの修理の出来栄えを見たり雑談をしていたが、やっとこれから何処に行こうか?と本題に入る。そして最近山方面ばかり行っているので海に行こう!と言う事になった。そして結局は伊豆方面に行く事となった。 既に時間は午後1時を回っていた。

東伊豆は大渋滞

  としさん宅(横浜)からは国道1号線を走り横浜新道→国道1号線のルートで小田原に向かった。途中渋滞はそんなに酷くも無かったが、やたら警戒中のパトカーと出くわす。すり抜けして良いものか悪いものかと悩んでいると、いつもタイミング良くパトカーが去って行ってくれた。そんな感じで順調に小田原から海沿いの道に入り、いよいよ東伊豆の海岸線(国道135号線)を走行する。なるべく有料道路は避け一般道を走行するが、何と対向車線は有料道路も一般道も東京方面への帰る車で大渋滞。一般道は多少抜け道の為動いていたが、スピードをここぞとばかり出して走行するドライバーが多く、センターラインを平気で超えてくる始末。幾らなんでももっと慎重に走れよ!と腹が立つ程であった。

コンビニで休憩

  対向車線は殆ど動かない位の大渋滞。しかしこちらの車線はまさに南伊豆を目指す道である。当然順調に走行出来、悲惨な状態の対向車のドライバーとは対照的にとても気持ち良く走りを楽しめた。しかし・・・伊豆半島の海岸線はトンネルの多い所で、このトンネルに入ると一瞬にしてムワッとくる暑さである。唯でさえ暑い夏の日中で、トンネル内はエアコン&エンジンを掛けっぱなしの車 でびっしりである。しかも空気の流れが渋滞の為無くなっている為まさに蒸し風呂状態であった。時折渋滞に巻き込まれた対向車線のバイクを見ると物凄く悲惨に思えた。そして取りあえず1回目の休憩をコンビニで取る。飲み物とデザートを買い、コンビニ前の激しい渋滞を見ながら今後のルートについて話し合った。

目指すは伊豆半島一周!

  今迄の対向車の様子を見ると、たとえバイクですり抜けが出来たとしても結構シンドイ感じ。西伊豆だったら渋滞も無く帰れそうだと言う意見で一致。結局下田を目指し、何処かで温泉に入ろうと言う事になった。東伊豆はさすがに真夏の海水浴シーズン真っ盛り!ビキニ姿の若い女性を沢山見かける。

 午後5時を過ぎてもまだまだ陽は高かった。海にも海水浴客はまだまだ多い。下田までは順調に走り、下田の駅前を通り過ぎ2回目の休憩をコンビニで取った。

今回の入浴は下賀茂温泉で・・・

 それにしても物凄く暑く強い日差しで、走っている時はそこそこ涼しいものの停まると一気に汗だくになる。汗を流すにはやはり温泉は外せないと言う事で今回は下賀茂温泉で入浴する事にした。下賀茂温泉は下田・弓ヶ浜より少し西伊豆寄りに走った場所に在る日帰り温泉施設。この温泉は新しめの施設で露天風呂も3種類在る。バイクも入口付近に数は少ないが専用の駐輪場所があり安心して停められた。が、しかしである。実は私は前日まで海に海水浴をしていた為日焼けが落ち着いていない身体だった。まともに湯船に浸かれない状態で 、結局痛みを堪えながらの半身浴となった。(TT)

遅すぎた夕食

 入浴を終え、ジュースを飲んでゆっくりしていると既に時計は18時半を指している事に気が付いた。「おっと・・うかうかしていられない。そろそろ帰りを急がないと・・・」と言う事で駐車場に戻り身支度を整えた。ルートを確認するが一応温泉の駐車場誘導係のおじさんに道を尋ねると、通ろうと思っていた山側の道(県道21号線)は幅も狭くトラックの通行量も多いのでお薦め出来ないとの事。結局そのアドバイスに従い海岸線を通る国道 136号線を素直に北上する事にした。

 波勝崎付近の峠道に差し掛かった時には何時の間にかもうすっかり日は落ち暗くなっていた。しかも雲も何時の間にか厚くなり暗い中時折雷が光っていた。としさんいわく「1人だったら心細く なりそうで走りたくない道だなぁ」との事。まさにその通りである。こんな時間に何時雨が降り出しても可笑しくない状況の中、自分達以外に車の気配は殆ど無かった。夕食は松崎付近で取る事と決め、途中としさんのCRMのみ給油し急いだ。出会う車はもう極端に少なく寂しい程であったが、ワイティングロードは快調に飛ばす事が出来気持ち良かった。そして夜7時半頃にやっと松崎に到着した。

 松崎には有名な食事処があり、そこが開いていればそこで食べようと思っていた場所があった。店の前まで行くとまだやっている様子。店内にもまだ食事をしている人が居る。早速バイクを近くに駐車しお店の入口まで来ると、「本日の食事の営業は終了しました。」の残念な看板が・・・・。仕方なくその真向かいののれんの掛かっているお店にも入ろうとするが、ここも閉店だと言われてしまった。(爆)お店の営業時間は20時半と書いてあるのにも関わらずである。(怒)

美味しかった回転寿司

 結局仕方がないのでまたバイクに跨り、国道沿いで開いているお店に入る事にした。国道を走ると直ぐに回転寿司屋の看板を見つける事が出来、結局この国道沿いの回転寿司屋「ととや」に入った。店内は時間が遅かったことも有り空いていたが、結構漁港近くという事もあってか 、美味しい寿司を食べる事が出来とても満足出来た。ここでの飲食代は2000円弱。まぁまぁだった。ちなみにメロンも大変美味しかった。(^^)

今回も最後に降られた大雨

 松崎で腹ごしらえした後、そのまま西伊豆を海岸線沿いに北上、土肥からは修善寺方面に曲がり伊豆中央道経由で国道246号線へ向かった。国道246号線へ出る手前でコンビニで休憩。この時もう既に時間は22:30近くになっていた。依然として空には稲光が見えるが、意外にも降りそうで降らない天候にとしさんが一旦装着していたバッグのレインカバーを外しかけていた。しかし私には嫌な予感・・・と言うか・・・今迄の経験からして逆にタンクバックとリヤバッグにレインカバーを装着する事にした。としさんも結局外しかけたレインカバーを元に戻す。そして残念ながら予感は的中した。(爆)

 国道246号線で御殿場方面に向かって走行中、いきなり激しい雨が降り出した。その時走行中のバイパスではトラックも他の車も非常に流れが速く(と、言うか・・・皆スピード出し過ぎ!)、急には停車出来ない状況であった為、慌てて停車出来そうな場所を探した。そしてコンビニの駐車場へようやく非難したが、前回(乗鞍キャンプツーリング)同様既にジャケット・グローブはびっしょりであった。私はジャケットを着ていたのでそうでもなかったが、としさんはTシャツのみで運転していた為雨が当たると痛く感じたそうだ。(^^;)

 さすがに夜も遅い、しかも私は今朝早起きし、ここ2~3日寝不足気味。そして明日会社へは早朝出勤の予定。(大爆) 私は急に家路が遠く感じて来た。本当は帰り道も一般道(国道246号線)を走って帰るつもりであったが、この大雨の中、峠道を走るのも時間的にも難しいと判断、不覚だが御殿場ICより東名高速道路に乗る事にした。御殿場ICから高速に乗り、直ぐさま足柄SAにとしさんのCRM250の給油の為に立ち寄った。雨は大分小降りにはなっていた。

夜遅いのに高速道路は渋滞続き・・・

 足柄SAを後にし、高速道路を走っていると電光掲示板にこの先20km渋滞の表示・・・。「こんな遅い時間なのにまだ渋滞している!」「うへぇ~!」と言葉を交わしているとやはり暫くして前方にハザードを点灯するトラックや車が見えて来た。勿論ここはすり抜けである。こちらもハザードを点灯し、ライトもハイビームにして出来るだけ自分の存在をアピールしながら慎重に車列の間を突き進む。その後所々渋滞が解消した場所も有ったが結局東京・用賀IC迄はかなり渋滞していた。雨も何時しか止み、服も乾きだしていた。最後に海老名SAにて私のホーネット900にも給油を済ませ、横浜・青葉ICにてとしさんと別れ、帰宅した時間は午前0時30位だった。まさに約12時間(半日)での東京→伊豆半島一周の旅であった。

 おわり

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